第4章 Jimanica
お酒を飲むことの原体験は小学生のときにさかのぼります。
カニ食べ放題が流行っていたレッドロブスターというファミリーレストランで飲んだ赤ワインでした。
翌朝、寝ている間に鼻血が出てまくらが真っ赤に染まっていたのを覚えています。
それ以来という訳ではないですが、ワインが苦手でした。
過去形なのは結婚以降、義理の父がワイン好きで一緒に食事をするときは必ずワインを飲むため鍛えられ、今ではだいぶ飲めるようになりました。
とりとめのない話で恐縮ですが、今回のThe garden in the cityに出演してくれるJimanicaことYu Ojimaさんもワイン好きで有名な方です。
一度ご自宅にお邪魔したことがありまして、その際にワインに合いそうなチーズや自家製ピクルスなどが出て来てセンスの違いを感じたものです。
我々KBJが飲む時はだいたい焼酎と緑茶なのもので、ワイン、チーズなどが出てくると勝手にハイセンスを感じてしまいます。
Jimanicaが今回出演してくれることになったのは家の近所のバーでの出会いがきっかけです。
僕もお酒を飲むと体調によっては寝てしまう事があるのですがOjimaさんもなかなかのもので、とある夜、だいぶ酩酊されたOjimaさんが一人そのバーへ来店、カウンターでそのまま打っ伏して寝てしまい、最終的に閉店まで一度もお酒を頼まず帰って行ったことがありました。
そんなJimanicaことYuOjimaさんはプロドラマーとして数々のアーティストの楽曲、ライブへ参加しているアーティスト。
上記の動画のように当日はドラムセットをステージに配し、生ドラムとエレクトロの融合ライブを体験していただけます。
抜群のテクニックで繰り広げられるタイトなドラミングとエレクトロニカ、The garden in the cityにて是非体験してください!
The garden in the cityへの道3
第三章 The garden in the city 開催へ
- The gardenその後-
2008年に野外でThe garden、AgehaでMitdnight gardenを開催し、その後Gardenという名前でPartyを開催することはありませんでした。
以降もOCTAGONは日曜日のアフタヌーンパーティーとして定期的に相変わらずの盛り上がりで続いていましたが、そのOCTAGONも都合により2010年で一旦お休み。OCTAGONは2008年に当時WOMBの1Fを運営していたObi loungeのスタッフの方からチャンスを頂いたのがきっかけでフリーパーティーを始められたのですが、その方々が新たにTangerineをオープン、OCTAGONも一緒に引っ越し、その後も新しいお店をオープンすると八潮氏の結婚式をおこなったりとお店との強力なパートナーシップに支えられていたのでした。
そんな八潮氏の結婚式で司会をやったのをきっかけに、次々に声をかけて頂き司会業という特技を身につけたのもこの頃でした。
その間に西麻布にあったSOUNDBar+でBROCCOLIというパーティーを八潮氏とはじめたり、幡ヶ谷HeavysickでのフリーパーティーD-Free!!に加えてもらったりなど徐々にKBJ以外の仲間やフィールドでの活動も増えていったのでした。
-Icon Lounge-
2011年、私事ですがKBJメンバーの最後に無事結婚することが出来ました。
その少し前にTangerineを運営している方が渋谷にThe garden in the city<Midnight garden>の会場でもあるIcon Loungeというお店がオープンしており、そこで結婚パーティーを開催。
多くの仲間にお祝いしてもらったパーティーはもちろん大盛り上がりで後半は記憶がまったくないのですが、唯一後半で記憶があるのは司会をやって頂いたNAKA-Gに思い切りドロップキックをされてフロアに吹っ飛んだ事です。主役なのに。
-The garden in the cityへの衝動-
2013年、八潮氏と新たに原宿bonoboでALKA?NIKAというパーティーを開催した夜。Tangerine、Icon Loungeを運営している方が遊びにくれた際、また何か一緒にやれないかと声をかけてくれたのでした。
そうして2014年1月、KBJメンバーとThe garden in the cityを開催する事を決めたのです。
<詳しい開催の経緯はコチラで是非>
ショーへー、ヤシオのレディオヘヴンVol.004 THE GARDEN INTHE RADIO!!!
(続く)
第二章 OCTAGONそしてThe gardenへ
ー同世代アーティスト達との出会いー
2005年3月からリニューアルスタートしたOCTAGONはその後、2ヶ月に一度のペースで開催を続けました。
4月の第2回ゲストは今回のThe garden in the cityにも出演してくれるMatsunamiでした。
Matsunamiことまっつんとは2000年初頭から野外パーティーなどを通じて知り合い、長い付き合い。同じ歳ながら緻密で丁寧なMixをするDJだなと当時聴くたびに関心させられたのを覚えています。
以降、色々なPARTYを通じて同世代で活躍するDJとの交流がはじまりそしてOCTAGONへの出演という形で深めていくのでした。
ー野外への衝動ー
2005年夏、KBJ一行で野外パーティーLabyrinthへ行った際、やっちゃんとしんくんはKBJでも野外をやりたいと決意したそうです。
その話を聞いて自分とJOYは最初大反対。
なぜならば2001年からJOYと自分は別の野外パーティーを手伝っていて楽しさもそれと同じくらいの苦労を知っていたからでした。
特に天気はどうにもコントロール出来ず、準備も報われず雨に泣かされたオーガナイザーの苦労も目の前で見ていたのです。
しかしやり遂げたときの達成感や感動もひとしおなのも事実、何度か話し合いを重ねKBJは野外パーティーをやることを2005年の年末に決意したのでした。
ーThe garden2006ー
前年末に開催を決定した野外パーティー「The garden2006」はドメスティックアーティスト且つ同世代でラインナップ、ヘッドライナーなしをコンセプトに開催することになりました。
それは2005年から色々な同世代アーティストとの交流を通して至った考えでそれが大きな力を持ち、従来のパーティーとは違ったものを作れる可能性を秘めていたからです。
そうして積極的に色々なパーティーでDJを聴き、時にはその場で声をかけたりしながらラインナップが固まっていきました。
その中でも特に個人的に競演を楽しみにしていたのが今回のThe grden in the cityにも出演してくれるNAKA-Gでした。
WOMBの4Fにてサンデーアフタヌーンパーティーとして開催されていたPANGEAに初めて遊びに行った際、その洗練された雰囲気に同じ日曜にパーティーをやるものとして衝撃を受けたものです。中でもNAKA-GのエモーショナルなDJスタイルには感動を覚え、その後はしばらく直接話す機会もないのにDJを聴くために足しげくパーティーへ通い、やっと友人からの紹介で知り合う機会を得たほどでした。
NAKA-Gはその後3年連続The gardenに出演、OCTAGONでもアニバーサリーパーティーに出演してもらうなど、当時から現在に至るまでKBJとは切っても切れないアーティストとなりました。
古くから一緒にやって来た仲間、新しく出会ったアーティストなどで2006年8月12日にThe gardenは開催されたのでした。
当日は準備中に土砂降りの大雨、サウンドシステムを担当していた会場近隣が地元の友人が「こりゃもうだめだな・・・」と言われ重苦しい空気になったのが忘れられません。
土砂降りもパーティーがスタートする5分前には奇跡的に止み、無事スタートを切る事が出来ました。
その後は一切雨に降られる事なく最後まで快晴、パーティーは大成功でした。
ーThe garden2007 - 2008ー
2006年の成功でKBJメンバーは2007年もThe gardenの開催を決定。
この年からは今回のThe garden in the cityに出演してくれるENUOHそしてTSUYOSHI YUYAMAが出演してくれていました。
ステージをきちんと組んだりサウンドシステムをパワーアップしたりと進化をしながら2007年も天気にも恵まれて大成功。
更にステージは大きくなりスピーカーの数も増え、この年はJOYと二人B2Bセットでトリを飾ったのも印象的でした。
その後、アフターパーティーとしてAgehaのTENTでMidnight gardenも開催。活動はピークとなっていました。
そんななかKBJメンバーは同時に人生の節目を迎えるものもあり野外パーティーをやっていく時間の確保等が難しい状況も生まれ、2008年をもって一旦その活動を終えたのでした。
(続く)
「The garden in the cityへの道」
4月19日に開催させて頂く The garden in the city はご存知の方も多いと思いますが、2006年から2008年まで開催した野外パーティーを原点としています。
(https://www.facebook.com/groups/518986864888689/)
そしてそのパーティーの基となるのがOCTAGONというパーティーであり、それを主催していたKBJという集団になります。
この機会にメンバーとの出会いからThe garden in the city開催まで経緯を振り返ってみたいと思います。
「The garden in the cityへの道」
第一章 出会い
ーJOYとの出会いと第一期OCTAGONー
1998年春、高校を卒業して大学入学のため、大分県から東京に出てきました。
高校時代からずっとバンドをやっていたので、大学に入ってもすぐにハードコアのバンドを組み、高円寺や三軒茶屋のライブハウスで毎月ライブをやる日々。
プログレッシブロック+ハードコア×サイケデリックといった分かりづらいジャンルで細々と充実感に満ちたバンド中心の生活も長くは続かずメンバーの都合によりそのバンドは解散。
解散後もいくつかのバンドに加入すれど続かず、悶々とした日々を過ごしていた20歳でした。
当時家の近くのカラオケボックスでアルバイトをしていました。
そこはインド帰りの先輩やメジャーデビュー一歩手前のバンドマンなど個性的な人が多い職場で、そこに同僚の紹介という一人の男性が入りました。
スリムな体型にソフトモヒカン、当時クラブで流行っていた太めのズボンを履いたその人がJOYさんでした。
JOYさんは当時かなり色々な意味で尖っていて、クラブでルミカライトをもって鮮やかに踊ることを得意技としていました。
バイト中でも練習を怠らず、ルミカライトの代わりんにボールペンを両手にもってレジの前で踊っていた姿は今でも忘れられません。
その当時からJOYさんはDJをやっていて、それに影響され自分もDJを始めました。
そこから一緒にパーティーをやろうということになり、OCTAGONというパーティーをスタート。
第一回のOOCTAGONは渋谷にあったIsmというクラブでした。
Ismで2回やったあといくつか場所を転々としながらどうやったら上手くいくものかと二人で試行錯誤する日々がその後数年続きました。
ーやっちゃん、しんくんとの出会いー
2004年のある冬の寒い日、近所に新しく出来たカフェバーで友人が個展をやっていたので見にいきました。
そこに怖そうな見た目の年上の男性が中央に座り、ヒップホップについて熱く語っていました。
ヒップホップの知識は全くなかったのですが、怖そうな人だったので取りあえず話を聞いてました。
その後もちょくちょくそのカフェバーに行くとその怖そうな男性もよく居ました。
顔を会わせば挨拶をし、少しずつ話すようになりました。
グラフィックをやっているというその男性がやっちゃんことヨネクラヤシオでした。
そしてそのやっちゃんの友達というやっちゃんよりも顔の恐い友人がいました。
その男性がJOYさんやっちゃんと一緒にガーデンをやることになるしんくんでした。
二人ともだいぶ年上だなと思っていたら1つしか違わないと聞いた時は驚いたものです。
そうしてやっちゃんにOCTAGONのフライヤーを作ってもらうようになりました。
ー第二期OCTAGONー
出会いからしばらくしたある日、Wombの1階(当時はObi loungeという名前)でアーティストの友人が展示をやっていてそのクロージングパーティーをOCTAGONでやらせてもらう機会をもらうことが出来ました。
そのパーティーはとても盛り上がり、お店の人から日曜の午後にフリーパーティーをやらせてもらえることになりました。
既にやっちゃん、しんくんとは家が近い事もあり非常に親密になっていました。
自分たちのことをKBJと呼び、多くの時間を共にしていました。
やっちゃん、しんくんを加え4人でOCTAGONを一緒にやるようになったのは自然な流れでした。
2005年3月6日(日)その日は非常に天気のよい日曜日。
COTAGONはサンデーアフタヌーンパーティーとして新たにスタートしました。
この日はお店に入りきらないくらいのお客さんが来てくれてこれ以上ないくらいの盛り上がり。
新たに4人のメンバーですばらしいスタートをきる事ができたOCTAGONは隔月で開催して行く事が決まり、その後沢山の出会いに恵まれながら続いくのです。
(続く)